
| 土田 浩翔プロ の解答  | 
|  切り。 これしか切る牌が見つけられませ〜ん。 だって、これ345の三色か123の三色が出来ちゃうでしょ。(オホホホホ) なので、すでに場に2枚出ている  を捨てて  か  をアタマにするのでアル。 ちょっと不安なのはオヤ様の捨て牌。 ワンズが1枚も出てないけど・・・・・ たぶん絶不調でコクシでもやってるんでしょ。 こういう形の手、一生のうち何回くらい来るんだろ〜? 1万回くらいカナ・・・・・それとも10万回カナ。 でもネ、何回来てもワタクシには  しか切る牌が見つけられないのです。 これって悲しいことなのかな。  や  を切ってイーシャンテンにする? いえいえ、ソーズには手をかけずに  か  を切っておく? なぁ〜んかそういう打ち方って未来を封印しているような気がするんだよナァー。 せっかくカン  を引いてきてるのにさ。 しかもオヤ様が調子悪そうなのに・・・・・ どうして小さく小さく構えて打っちゃうんだろ。 始まったばかりの東2局なのに・・・・・ そんな打ち方しててゴールまで息が持つのカナ。 シャンテン数が下がっちゃうことがそんなに寂しいことに思えちゃうのカナ。 健康な子はスクスク育つものなのに・・・・・ 自分から不健康のほうを選んでどうするの? べつに三色が素晴らしいワケじゃなくて、【こころざし】の問題なんだよね。 自身をどう育てていくのかってこと。              や              みたいな最終形にしてリーチをかけたいと思わないのカナ。 そんなの夢物語だよ!って言われちゃうのカナ。 じゃあ  切って              みたいな手になってもリーチするって言うの? たとえ              になってもワタクシは悲しいナ。 マージャンは何のためにするの? アガるため? それとも勝つため? そうじゃないでしょ? そんなところで生きていたら 小さな小さな世界しか見えないまま終わっちゃうよ。 どうして牌が伏せて積んであるの? どうしてアガリ回数を争うゲームではないの? わかるでしょ、 マージャンはどういう存在であるべきかということが・・・・・。 もっともっと大きな目で眺めましょーよ。 べつにアタフタアガリにいくことないでしょ。 明日もあさっても1年後も10年後も・・・・・ マージャン打ってるワケだから。  切っていきましょーよ。 | 
