大貝 博美プロ の解答 |
皆様あけましておめでとうございます、横浜の大貝です。 もう初打ちはお済みですか? 愚問ですね。 このページにアクセスされる熱心なハートランドファンの皆様ならば、 毎日のように楽しい時間を過ごされているに違いありません。 それでは、麻雀の出来の方はいかがでしょう? 正月らしい豪快な手作りも楽しいものですが、 長打力だけで勝てるほど麻雀は簡単なものではないでしょう。 ときには干支のネズミのようなチョコマカしたフットワークも必要になるはずです。 年の始めの好スタートを決めるために 大胆かつ繊細、華麗にして優美といきたいものですね。 さて。 もし問題牌姿がこの日最初の半荘の開局であったなら、 「流れ論者」である私はを切ります。 それは今日の自分のツモの具合をなるべく先まで見たいと考え、 スピードをさして重視しないからです。 むしろデータ収集という意味では 巡目が晩くなればなるほど望ましいという面もあり、 またその趣旨ゆえに当然ながらメンゼン仕上げを目指します。 「アガれるにこしたことはないけれど、 仮にアガれなくても自分の状態の判断材料が増えればよい」 くらいの気持ちでツモの声に耳を傾けるわけです。 ではなぜ回答をとしないのか。 それは簡単に言えば「思わしくない展開にいち早く対処するため」です。 提示された局面はおそらく 「東パツの親リーチが成就しないばかりか5200点放銃の憂き目にあった」という、 かなり悪い結果が出た直後の東2局ということでしょう。 あるいは1500和了の後に リーチ棒付きの6400点は6700点を献上したのかもしれませんが。 いずれにしろ味の悪い立ち上がりであることに違いはありません。 でも落ち着いて対処すれば大丈夫。 逸機・失点はたしかに痛いことですが、 わずか1局で「あまり芳しい牌勢ではなさそうだ」と 判断できたわけですからそれほど悲観したものでもありません。 風邪もひき始めが肝心であるように、 まず示された結果に対し速やかな対応をすればよいのです。 こういったことを考えず無邪気に打った場合、 点数的にも牌勢的にも手傷を深めるのが相場です。 その場合はデータ量が増えてなすべき対処はより明確になるわけですが、 この段階では傷が深すぎて応急処置程度では間に合わない ということになりかねません。 なので今の時点でいち早く手を打つべきだと思うのです。 このあたりを踏まえて問題に目を戻しましょう。 いちおうツモに押されるまま翻牌を並べてみたところ 6巡目のツモは絶好とも思えるネックのカン、かなりの手応えです。 これで手牌もだいぶ締まり、 先の失点のリカバリーのみならず 相当の逆リードを奪えるような長打すら十分に狙える手格好になりました。 しかし東1局の結果を知っている私としてはそう楽観的には考えられません。 まあ正月ですから皆様には夢も希望も 大きく持っていただく方がよいのかもしれませんが、 私の場合は崩れかけた体勢を立て直すのが先決とここで考えるのです。 不利な状態から繰り出す技が決まることが稀であるならば、 まずは対等に戦える状態まで戻すことが大切だと。 ならば今望むのは「高いアガリ」ではなく 「自然な手順でサラリと拾えるアガリ」であり、 打点は二の次になります。 リーチは仮にアガれたとしてもエネルギーを消耗するものです。 ましてチャンス空振り&放銃の直後に再度リーチを試み、 もしもその声ゆえにアガリを逃すようなことにでもなれば、 この半荘中に再び出番が訪れるとは到底思えないのです。 したがってついリーチしたくなるような役なしのテンパイは歓迎できない、 逆に言うとヤミテンのきく役ありのテンパイを組みたい。 以上が打を推す理由です。 この後やをひいてのテンパイ逃しがあったとしても、 それは捨てた選択肢なので全く気になるものではありません。 尚、言うまでもありませんが、 テンパイチャンスを狭めてもを残す理由は横への伸びの期待に他なりません。 ソーズ部分にリャンメンができれば、 これはピンズカンチャンの外しとなるでしょう。 また雀頭がかに振り替わった場合、 リャンメン残りのチーテンならばかけるべきだと思います。 例えばツモの後に・などと来た時は全て喰い仕掛けるということですね。 失点を一度に取り戻すべく喰いテンを見送るのは 緩手となりうるのでおすすめできません。 仕掛ける際も、先に述べた通り打点は二の次なので 三色の有無にはこだわりません。 ちなみにを切った後に上家からやが捨てられた場合ですが、 私は仕掛け倒れもリーチ空振りと同じくらい体勢を損ねるものと考えているので、 カンチャン残りや片アガリではちょっと動けません。 またツモの場合はテンパイを維持してサンショクの振り替わりを待つよりも、 残したの顔を立てて打のテンパイトラズとする方がより自然かと思います。 牌勢の良し悪しは目に見えません。 それが一般的には目の前の手格好だけに 判断材料を求めがちになる大きな理由ですが、 「何切る」の連続が麻雀の本質だとは私は考えたくないのです。 ただ勝負事にはすべからく流れがあると思い 麻雀もまた例外ではないと信じてきましたが、 30年以上検証を続けても答えが未だ見つからないのも事実です。 しかし「流れは存在する」と仮定することにより、 戦略・セオリーは飛躍的に広がることでしょう。 確率的に有利な打牌を選択し続けることが麻雀の必勝法だと考えるよりは、 はるかにやりがいがあり楽しくもあると思うのですがいかがでしょうか。 以上長々と書かせていただきましたが、 そもそもこの牌姿ならばいわゆるオカルト・デジタルの別なく 大多数の人がに手をかけると思います。 したがって回答そのものよりも考え方の部分に着目していただき、 賛否を問わず何らかのご感想を抱いてもらえれば幸いです。 2008年が皆様と麻雀界にとって良い年となりますように。 まだまだ寒い日が続く中、体調など崩されませんようご自愛ください。 それでは。 |