土田 浩翔プロ の解答 |
私には見えます・・・ 天啓のツモが・・・ そして更なる赤が・・・ 一方で、私には絶対見えない形があります・・・。 それはある意味哀しいことなのかもしれません。 とか みたいな最終形を描ける力が私にはありません。 をツモる前の形ですが、 ソーズの並びがピンフを啓示してません。 しかも場況が、いまにも引きそうなを教えてくれています これだけ有り余る材料が後押ししてくれているのに、 をツモりにいくリーチをかけない道理はもちろん、 そのタンキに至るまでの手順を踏めないようでは、 私が私たる価値を失ってしまうのです。 次に何を引いてくるのかがわからないゲームなのに、 そんな大袈裟な表現をして、 なんて愚かな打ち手なんだろう。 そう思われていいんです もっと柔軟に構えて、ピンフの可能性や ドラドラテンパイ即リー手順を失う必要性はどこにも無いのでは? そう言われてもいいんです。 だってこの手牌は間違いなく最初に描いたテンパイになり、リーチをかけ、 をツモって倍満になるのですから。 《信じる者は救われる》じゃなかった・・・ 《信じる者だけが救われる》ということなんです。 前置きが長〜くなりました。 私は上の手牌から、→→と切り出します。 その道中で、やが重なってしまったら、 泣く泣くを捨ててイーシャンテンにとります。 嬉しい誤算で、先にを引くことも考えられますが、 その際は、とがツモ筋にありますから、 他の牌たちに保険をかける必要はありません。 以上、麻雀の神様を信じてやまない初老プロの回答でした。 |