| 土田 浩翔プロ の解答 |
5200をアガッて優勢で迎えた東3局の南家ですから、 かなり自身の我を通してもいい局面となります。 〔我を通す〕とは、もちろん我が儘に振る舞うという意味ではなく、 存分に自身の描くお気に入りの最終形に向かって前進していくことを指します。 そこで、手牌を見れば明らかなように、三色があまり好きではない打ち手でさえ、 456の三色は目に飛び込んできます ましてや、ピンズで赤入りの 三色に向かうなんとも心強い追い風が吹いています。 ワンズとソーズの456部分とピンズの この7枚に関する関連牌は、 もう1枚捕捉しておくと、 ですから打 優勢な状況から、このリャンシャンテンからイーシャンテンに進むツモ牌は、 そしてそれは赤牌である可能性も十分あるのではないか?、と私は予測しているのです。 『いやいや、 入ってくる牌たちの可能性は五分五分ではないか?』という反論があることはわかったうえで、 かなりの自信をもって ですから、そのとき、 つまり、 ペン もう1度場況をご覧ください。 親の3巡目 親には役牌トイツが入っている可能性は高いものの、 劣勢の親と (北家と親が東や發を持ち持ちにしている可能性はけっこうあります)、 なので、イーシャンテン時に、どちらも優れているシャンポンとペンチャンの選択に入りたくないため、 リャンシャンテン時に 〔 リャンシャンテン時に打 安定感がまったく違います。 ただし、いつも ( 劣勢な状況だったりする場合には、 麻雀は〔千変万化〕するゲームですから、手牌の形だけを見て、 『これしかないだろう』みたいな思い込みをする打ち手には、すぐに麻雀脳の限界が訪れます。 また、テンパイ効率だけ追いかけて、 和了効率を考えない打ち手も常勝できないままの麻雀LIFEになってしまいます。 〔臨機応変〕&〔柔軟な思考〕で手牌と向き合う姿勢が、 常に打ち手には求められていると私は思っています。 |