土田 浩翔プロ の解答 |
切りの一手! 親子にかかわらず、私の東1局&東2局の”麻雀観”は【育てる】。 アガれるアガれないは無関係、 与えられた手牌を最大限に生かす打ち筋を心がけています。 先制点を挙げることに精を出す打ち方を全否定するわけではありませんが、 東1局や東2局に、アガリにキュウキュウとしたり、 アガリを拾いにいく打ち方をすると、 麻雀の神様に笑われてしまうような気がしています。 麻雀の神様に笑われると、南場に入ってから神様にイタズラされ、 アガリにくい難解な局面を与えられて、苦悩するシーンが多発します。 麻雀の神様は【育てる】ことに重心をおいた打ち手には 南場に入ってから手を差しのべてくれます。 なので、親であれ、これだけ夢のある手牌を麻雀の神様からプレゼントされたなら素直に喜び、 234か345の三色を完成させる打ち筋を選択すべきかなと思うわけです。 すでに、ピンズ・ソーズで三色部分は完成しているわけですから、あとの2メンツは・・・ ワンズ三色部分の〔〕は決まりで、のこり1メンツは、 リャンメン形〔4種〕のなかでも一番アガリ易い〔78〕があるので、 もうこれはあまりに恵まれた手牌となっています。 問題は〔雀頭〕ですが・・・ 配牌の絵づら的には、〜のどちらか、 もしくは〜のどちらかがその候補となります。 ただし、次ツモが〜だった場合には A【】 B【】 となりますから、orのどちらかを選択しなければならず、 難しい手順に追い込まれます。 なので、Aの引きのときは、そのままツモ切りし、第1打の切りの牌姿に戻します。 234・345、どちらの三色を狙いたいかといえば、シュンツの強さが234より345のほうが上、 というか、345&567のシュンツが最強なので、 【育てる】がメインテーマゆえ、断然345に重心が傾くのです。 すなわち、雀頭候補の第1希望は、や、 もしくはやから引ければしめたものなのです。 つまり、私は第1打にを選択し、ダイレクトのツモも歓迎しますが、 大歓迎すべき牌は、345の三色形が固まる雀頭引きのやなのです。 ツモも、受けができる絶好球ですが、 すんなり引ける確率は低いので、想定外とします。 打後、すぐにドラを引いてしまったら・・・ 【】 こうなりますから、切りとし、 234・345の両睨みをしつつ、最高形となるドラの2度引きに期待します。 【】 この最高形でリーチが打てれば、アガれなくても 《ヤミテンにしておけばよかったな・・・とか一切の後悔をせず》、 「うまく育てることが出来た!」という満足感でいっぱいになれるのです。 麻雀は・・・点棒が増えたら満足感に浸れるのは確かですが、 果たしてその満足感だけでよいものなのでしょうか? 点棒レベルに留めず、 自身の心が豊かになる打ち方に満足感を得るという方法もあることも確かなのです。 誤解を招かないために言っておきます。 私は、手役を追いかけたり、打点を追い求めることが大事なことと言いたいのではなく、 麻雀をすることによって、【心】が豊かになる方法を見つけ出すことができたとき、 いかに自身の生き方に良い影響を与えてくれるものか、 その大切さを知って貰えたらと思うのです。 |