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「何を切る?1月分解答」
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大貝 博美プロ の解答  切り


札幌の皆様、あけましておめでとうございます。
昨秋に放送されたギャンブル大帝において、
超ダントツから親っパネを放銃して赤っ恥をかいた大貝です。
配牌からオリてるくせに親のロン牌に手をかけた瞬間、
大半の視聴者の方々が「あちゃ〜」とハモったとかハモらなかったとか。
その節は大変ぶざまなモノをお見せしました。
今回はその汚名を返上すべく、回答者に名乗りを上げさせていただいた次第です。

はいはい、おみくじみたいな手ですね。
次のツモを開けてみないとその着手が正解だったか不正解だったかわからない、というような手。
各家の捨て牌を眺めてみても、役に立ちそうな情報はあまりありません。
345と567のサンショクが見えるのは確かですが、
いずれにしても高め・高めとツモらねば成就しないので、
あまりこだわりすぎない方がいいでしょうね。
のひき込みだけで好形テンパイが約束されることに着目し、
サンショクよりはむしろメンタンツモ赤を狙いとすべきかと思います。
偶然サンショクまでついたらラッキー、ということですね。
最終的に好形テンパイにならず、例えばタンヤオ赤のカンチャン待ちになってしまった場合には、
ヤミテンの選択になるでしょう。
開局に「満貫でなければならない」という理由は一つもありませんから。

マンズに手をかけないとするなら他に何を切るかですが、
ピンズの二度受けが少々重いように感じます。
をツモってきたことからもソーズの方が信頼度が高いと判断し
(単なる思い込みでもありますが)、
ピンズのリャンメンターツをひとつ外したいですね。
外しと外しの比較は
「自然手順の中でたまたまできるとすれば567よりも345のサンショク」
ですから、の方を内側から切ることになります。

まあ瞬間的にこんなことを考えて打とするわけですが、
先に書いた通り正解も不正解も次のツモ次第。
次巡にだのだのをひいたら
『アタタタ、やっぱりを切っとけばよかったか』
などとつい思ってしまうはずで、このあたりが麻雀の難しさ。
しかし仮に感性を養うことによって、百発百中で裏目をひかないようになれたとしても。

きっとその時は麻雀がひどくつまらなくなってしまうでしょうから、
「難しさイコール面白さ」でもあるのでしょうね。
こんなカンジで私の回答は打でした。



ここからは何切るの回答とは関係なく、いつもの散文です。
お時間のある方だけお読みください。

今は横浜にほど近い関内という街のとある雀荘で働いている私。
元旦からもキッチリ出勤しておりましたが、新年早々ものすごいものを見てしまいまして。
1月2日の午前中、私は立ち番をしながら
主に本走中の若いスタッフの麻雀をチェックしていたんですねぇ。
当店で使用しているのは皆さんご存じの全自動配牌卓。
13枚の配牌が全員の手元に出てきて親が第1ツモを行うところから局が始まる卓です。

まだ麻雀自体を勉強中のこのスタッフ、
初戦はノーホーラのラスでこの2戦目もここまでいいところがありません。
そんな彼が親番で出てきた配牌の13牌をヨイショと開くと、
たまげたことにハジからハジまで全てがピンズ。


こんなことになってるわけです。
なんだこれ。
配牌を4枚ずつ取る旧来型の卓ならまだしも、
13枚を一気に開けるタイプのこの卓だとインパクトも一段と強烈。
冷静で鳴るむこうぶち傀やゴルゴ13が打っていたとしても、
こんな配牌をとってしまったら瞳孔が少なからず開くに違いありません。
まして不慣れな彼はひどく仰天したに違いなく、いつにも増しておぼつかない手でせわしなく理牌
すると、すでにこのテンパイ形。
ドラ
このコーナーでは毎年テキトーなことを書いている私ですが、今度ばかりは全くの事実です。
すごすぎるでしょ。

これがもし卓のスイッチを入れたばかりの局で、なおかつ私自身が対局者であったならば、
賢明かつ疑り深い私はこう考えるでしょう。
『ははぁん、誰か手間ヒマかけてイタズラしたヤツがいるね。
うっかり真に受けて最初の牌をツモ切ると、
チューレンとスッタンと大三元の三家和にアタって笑われる、って趣向でしょ』と。
そして第1ツモを手に置いてを2枚外し、ピンフのみに仕上げて三人の役満手をかわします。
苦み走った大人の対処と言えましょう。
しかしながらこの時はすでに何局も経過しているわけで、誰の作為も入っていないのは明らか。
したがって全くの偶然なんですよ、信じ難い話ですが。
蛇足ながら結果まで記しておくと、天和ならずの第1ツモをツモ切ってダブリーをかけ、
一発でをひいて裏ドラも乗り電光石火の12000オール。
まさに「事実は小説より奇なり」の典型です。
こんなこともあるから麻雀はおもしろい。

寝耳に水の三倍満をアガられた被害者であるお客様たちも、
そのあまりの派手さに「正月らしい、景気のいい手だね」と喜んでいたりします。
ああなんと和やかな日本の正月。
でもこの顛末を目撃していた私、ちょっと違う感想を持ったのですね。
『一色しかない配牌って、普通の天和なんかよりもはるかに珍しいんじゃないだろうか』と。
「普通の天和」という言い方も、天和自体がそもそも普通ではないのでおかしな表現ですが、
「もしも天和でなければ大した手ではない天和」ということです。
あ、わざわざ書く必要もなかったかな。
とにかくとてつもなくレアなはず、と思ったんですね。

決して数字に強いわけではない私ですが、こういうのって妙に興味が湧いてきませんか?
というわけで立ち番を放棄し、すかさず電卓に向き合う私。
『全部同じ色の配牌が来る確率は、伏せた136牌から1枚ずつ13回持ってきて、
それが全部同色になるのと同じ確率のはず』
‥自信満々ではないものの、たぶんこの前提で合ってるものと思いながら計算を進めます。
まず1枚目に数牌をひく確率は108/136、2枚目に1枚目と同じ色の牌をひく確率は35/135。

3枚目以降も同様にして34/134×33/133×…と乗じていき、13枚目の24/124までかけ合わせます。
すると驚くなかれ、出てきた答えは
0.00000001432
ですって。
なんと「6983万2402局に1回しか出現しない大珍事」という結果。
3回も4回も確認した私の計算が正しいとしての話ですけども。
仮に計算や元々の考え方が間違っていたとしても、
当方は責任を一切負わないことにしておりますので悪しからず。
私は年間におよそ3000半荘打ちますが、1回の半荘が多く見積もって10局平均だとしても年に
30000局。
これは一般的に言ってもけして少ない方ではないと思うのですが、
その私でさえ全部が同じ色の配牌に巡り会うまでは2327年かかることになります。
そんなに長生きするのもまあまあ大変。
しかも私が計算したのは「全てが同じ色の配牌」の出現率であって、
これに「なおかつテンパイしている」という条件を加えると、
9000万局あるいは1億局に1回などということになってしまうのでしょうか。
その計算方法についてはもはや私には謎です。

そこでふと思いつきました。
『麻雀好きで頭のいい誰かがきっとどこかに書いているに違いない』と。
すかさずネットで検索したところ、「麻雀の数学」と題したサイトがありました。
断りもなくその数字を使っていいのかな。
それによると「天和の出現率は330530局に1局」だそうです。
つまり件のスタッフがとった配牌は、
天和の200倍から300倍も起こりづらいということになりますね。
なお「配牌の時点でメンチンのテンパイが入る確率」は残念ながら載っていなかったのですが、
「第1ツモを行った時点でメンチンのテンパイが入る確率」は1229万局に1回だということですか
ら、先の計算結果もあながち間違っていないように思えます。
ことによると同じ経験を持つ存命中の人は日本に一人たりともいないかもしれないというクラスの、
それはもうハンパない出来事だったわけです。

しかるに彼にこういった数字を伝えても、
その奇跡的とも言える希少性にあまり感銘を受けていないようなんですね。
三倍満をアガれたのは嬉しいけれど、それ以上でもそれ以下でもないという感じ。
私としては歯がゆい気持ちというか、もっと言えば悲しい気持ちにもなったりします。

こんなにも珍しい経験に対しては、狂喜乱舞とはいかないまでも、
もう少し感動してほしいと思うわけです。
この感じって、私が40年以上の雀歴の中で一度もできない天和を、
フリーを打ち始めて間もない子が「あれ、アガってます」とか言いながら
普通に倒牌しているのを見た時と似ています。
「ちょっと君、それって一生モノだよ。写真撮っといた方がいいよっ」などと
外野の私の方がよっぽど騒いだりするのですが、
単に私がおせっかいなだけなのでしょうか。
それらの珍しい経験の価値・ありがたみをうまく伝えるすべを持てればよいのですけどね。

麻雀においてはデジタル的リアリズムも必要と知りながら、
ロマンチシズムもまた同じくらいに大事だと考えている私。
「こんなにも神秘的なロマンに富んだ手を
、そんじょそこらの三倍満と一緒にしてはあまりにもったいない」
と思い、ページと皆さんの貴重なお時間を遣わせていただいた次第です。
題材自体は興味深いものだったはずですが、
気のきいた文章にできなかったことを申し訳なく思います。
ノンフィクションをおもしろおかしく書くのはやはり無理がありました。
次回はちゃんとあることないこと書きますからご容赦くださいな。
それでは今回はこのへんで。
今年の皆さんの麻雀ライフがより豊かなものとなりますように。


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